
ポッドレース(Podracing)はポッドレーサーと呼ばれる競技用マシンを使用した危険なレースである。アウター・リム・テリトリーで特に人気が高く、銀河系で最もエキサイティングにして危険なスポーツとされていた。ポッドレースに使用されるマシンは2基の巨大エンジンにコックピットを繋いだだけの代物であり、競技中に発生するクラッシュには常に命の危険が付きまとった。ポッドレーサー・パイロットには高速のマシンを操縦するために卓越した反射神経が求められ、特殊な体や感覚を備えたエイリアンにこそ適した職業とされており、人間種族のパイロットはごく少数だった。
ポッドレースの正確な起源は不明であるが、獣が牽くカートを使った古代の競技にルーツがあるとされていた。近代的ポッドレースの発祥の地は惑星マラステアであり、ガスタブ・ウェンバスという名のメカニック兼レース・プロモーターによって発明された。モス・エスパ・グランド・アリーナで開催されるブーンタ・イヴ・クラシックは惑星タトゥイーン最大のレースであると同時に、ギャラクティック・ポッドレース・サーキット全体でもっとも有名なレースとして知られた。またモス・エスパ・アリーナは犯罪王ジャバ・デシリジク・ティウレの出資を受けており、ポッドレース賭博はハット・クランのシノギとなっていた。のちにジェダイ・ナイトとなるアナキン・スカイウォーカーは、ジャンク屋ワトーの奴隷だった幼少期に、レーサーに不向きとされる人間であるにもかかわらずブーンタ・イヴ・クラシックに出場して自らの自由を勝ち取った。
概要[]
- 「ここでは全てがあのイカれたレースを中心に回ってるの」
- ―シミ・スカイウォーカー[出典]

ポッドレースは銀河系で最もエキサイティングにして危険なスポーツであり、絶大な人気を誇った。ポッドレース競技に使われるマシンは“ポッドレーサー”と呼ばれる[1] レーシング・ランドスピーダーで、エアスピーダーやスターファイターのエンジンにサドルを取り付けただけの代物だった。この危険な乗り物を駆るポッドレーサー・パイロットたちは、レースのたびに命を懸けて争った。彼らは身の安全などほとんど顧みることなく直線路を疾走し、危険な障害物の間を縫うように走った。この競技で発生するクラッシュは常にド派手で、しばしば致命的事故に繋がり、観客を惹きつける最大の要因となっていた。ポッドレーサーは巨大で喧しい直感的マシンであり、フルスロットルにすると獣のような咆哮を放った。ポッドレースは砂とアドレナリン、鋼と血のスポーツであり、アウター・リム・テリトリーで特に盛んだった。競技に沁みついたDIY精神と無法者気質が、この外縁領域の住民たちの多くを魅了していたためである。[2]
ポッドレースは壮観にして荒っぽいスポーツであり、タトゥイーンのような辺境にある無法の惑星では、ポッドレースの結果を巡って賭けをすることは日常茶飯事となっていた。[3] ファンの大観衆はスタート/ゴール地点に建てられた大規模スタンドの客席を埋め、あるいはカンティーナやバーに集まってレースの放送を見守った。[1] スリルと興奮、派手な衝突こそがポッドレースの真骨頂であり、誰にも負けないタフさを備えたレーサーが勝利の栄光と莫大な賞金を手にすることができた。そしてギャンブラーたちもまた、レースによって大儲け(あるいは大損)することができた。[4] ポッドレースには企業だけでなく[1] 犯罪シンジケートがスポンサーにつくことがあった。例えばタトゥイーンでは有力なハット・クランがバックについた賭博を中心にポッドレースが発展した。この競技は有力な個人や団体の懐を大いに潤したため、のちに非合法となるものの、当初は取り締まりの対象となっていなかった。[3]
ルール[]

ポッドレースのポスター
ポッドレース競技の目的は“レースに勝つ”という単純なものであり、サーキット場にコース・マーカーが設けられ、ポッドレーサーのナビゲーション・システムに進むべきルートが知らされた。[5] レーサーはあらかじめ決められた回数サーキットを周回し[1]、最初にゴールラインを通過した者が優勝者となった。ポッドレースは極めて危険であることから、ほとんどの場合、銀河共和国および銀河帝国、そして新共和国において非合法のスポーツとされていた。ルールや規則は存在したものの、それらはガイドラインとして扱われていた。ポッドレースにもオフィシャルやレフェリーは存在したが、彼らが取り締まるべき“ガイドライン”をくぐりぬけようと、パイロットやクルーによる買収や脅迫、あるいは注意を逸らすといった行為がいともたやすく行われた。[5]
またレーサー全員が同じ種類のマシンを使うレース・シリーズも存在した。こうしたレースでは、改造や調整がルールで規制されることもあった。例として、コーリアンIVでは参加者全員がクザーカ・アームズ社製CR-17インセンディアで争うザルパーティン・カップが開催されていた。これらのマシンはスピードや安全性、外観の改造のみを許可され、レースでは高度な技術やトリックよりもパイロットの技量や勇気が重視された。[2]
歴史[]
起源[]
- 「マラステアでもポッドレースをやっている。とても速くて危険だ」
- ―クワイ=ガン・ジン[出典]

ポッドレースは銀河系各地のカンティーナやバーで放送された
ポッドレースの歴史上、レーサーたちは大昔から命がけの競技を繰り広げてきた。[6] ポッドレースの古代史について知られていることはほとんど無く、その起源はぼんやりとしたもので、獣が牽くカートを使った、まさしく古代式のレース・スタイルにルーツがあるとされていた。多くの歴史家が起源を解き明かそうとしていたが、最初のレースや最初のポッドレーサーにまつわる決定的な証拠は存在しなかった。何千年という歴史の中で、似たようなスポーツが銀河系のあちこちに存在していたためである。共和国の初期にも似たようなものがあったとされ、クザーカ社本部の保管庫深層にある記録には、「ハイ・スピード・ポッド・レーシング」に使われたとされる「ファイアストーム」と呼ばれるエンジンに関する記載があった。[2]
惑星タトゥイーンでは、モス・エスパ・グランド・アリーナが建造されるまでの長きにわたり、スリル溢れるショーに飢えた者たちによって、ルール無用のレースが開催されていた。当初それは獣が牽くカートのレースで、次にランドスピーダーの先駆け的存在であるハノ・スピーダーを使ったレースとなり、最終的にポッドレースに発展した。[7] いわゆる近代的なポッドレースは、帝国時代へ続く1世紀ほどにわたって行われてきたもので、ガスタブ・ウェンバスという名のメカニック兼レース・プロモーターによって惑星マラステアで発明された。ポッドレーサーの仕様の標準化と、近代的なポッドレース・サーキットの設営もウェンバスによって行われた。[2] ウェンバスが乗ったのは実質的にはテストなどされていない超高速プロトタイプ・ポッドレーサーで、フォーバスという名の一匹狼のメカニックによってウェンバス専用に設計された。[7]
ウェンバスが行った標準化によって、ポッドレーサーの仕様は、プラズマ・エネルギー・バインダーで連結された大型の双発エンジン(タービンまたはイオン・エンジン、もしくはロケット・モーター)を、柔軟性のあるコントロール・ケーブルで小型のリパルサーリフト・コックピットに繋いだマシンとなった。初期のビークルは廃品回収品のパーツと軍用の余剰品エンジンを繋ぎ合わせた、ずさんでおんぼろな代物だった。これらのマシンは煩く、煙たく、危険で、信じられないほどエキサイティングだった。初期のルールは単純で、レーサーを造り、可能な限り速くし、レースに出場するというものだった。最初にゴールラインを通過したレーサーか、最後まで生き残ったレーサーが賞品を手にした。多くの場合、賞品はパーツかクレジットだったが、一部のレース、特に一対一のプレステージ・レースでは、勝者が敗者のポッドレーサーまで勝ち取った。[2]
発展[]
こちらの記事も参照: 工場カスタム

大手造船企業がレースに着目した結果、工場カスタムと呼ばれる既製品レーサーが誕生した
競技が発展するにつれ、ポッドレースを取り巻く独特の文化が育っていった。ポッドレーサー・パイロットたちは死を前にして唾を吐く、威張り腐った無法者とみなされた。彼らはより昔の本能的な時代を想起させる、叩き上げの武骨なオーラを身にまとっていた。彼らはパイロットであると同時にプロのメカニックやエンジニアでもあり、彼らが乗るマシンもレーサー自身と同じくらい有名な存在となった。[2] タトゥイーンでは、まるで死に急いでいるかのごとき危険なポッドレーサーの使用が当たり前になるにつれ、遠くの星々からのファンを呼び込むほどの人気を博していくことになった。[7] 共和国時代終盤、ポッドレースは大人気スポーツで、銀河系各地に何十万ものレース・サーキットが存在した。ポッドレーサー・パイロットは最も人気のあるアイドル的存在のアスリートで、彼らが行うレースはあらゆる既知宇宙に放送された。[2]
元来、ポッドレーサーはどれも知識豊富なポッドレーサー・ビルダーたちによって組み上げられたオンリーワンの手製マシンだった。彼らは銀河系各地の宇宙船解体場を探し回り、ライバルに差をつけられる希少なパーツを見つけ出した。一方、レース主催者は競技を均質化するためルールを厳しくしたが、新技術の登場とその取り締まりのいたちごっこが続くだけだった。そんな中、クザーカ社やインコム社、ギャラクティック・パワー・エンジニアリング社といった大手造船企業がポッドレーサー界隈のカスタム文化やDIY文化に目を付けた。自分たちの製品がレース用マシンに再利用されていることを知った彼らは、より多くの分け前を求めた。その結果、多くの企業が既製品のポッドレーサーを発売するようになり、業界ではこうした製品が「工場カスタム」として知られるようになった。当初、保守的なレーサーからは冷ややかな目で見られたものの、工場カスタム品は瞬く間に成功を収め、銀河各地のレース・サーキットで広く人気を集めることになった。[2]
共和国時代末期[]
犯罪組織のシノギ[]
- 《レースを始めろ!》
- ―ジャバ・デシリジク・ティウレ[出典]

タトゥイーンではハットが牛耳る賭博を中心にポッドレースが発展した
銀河共和国の最後の数十年間、ポッドレースは依然として非常に人気があった。ポッドレースは銀河の上流階級ではめったにお目にかかることができないスポーツで、あまり文明化されていない観客が集まり、洞窟を通過したり氷上や水上を進む極めてトリッキーなコースを命がけで飛行するのを見ては歓声を上げた。また銀河全域のスポーツ・バーやギャンブルクラブでも熱心に観戦された。一般的に、ポッドレースが無法な星々で開催されるイメージがあるのは、当局や賭博ギルドがレース結果へのギャンブルに介入できないよう、地元で運営しているためだった。ハットが支配していたタトゥイーンも例外ではなく、共和国は彼らの奴隷制を黙認していたため、当然ながらレースの収益にも口を出せなかった。[3]
タトゥイーンにはポッドレースのコースがいくつもあり、多くのレースが開催されていたが[3]、中でもブーンタ・イヴ・クラシックはタトゥイーン最大のポッドレース・イベントであると同時に[8]、ギャラクティック・ポッドレース・サーキット全体で最も有名なレースだった。[3] 有名なブーンタ・ザ・ハットの神格化を祝う祝日[4] に行われるこのレースは、シーズンのハイライトのひとつで、レースを見るためにマニアと観光客が銀河中から押し寄せた。ハットは大勢の観客を収容するためデューン・シーにモス・エスパ・グランド・アリーナを建造し、このスタンドをモス・エスパ・サーキットのスタート/ゴール地点とした。[3] 犯罪王ジャバ・ザ・ハットがこのレースのグランドマスター・ホストであり[8]、彼にとってレースは確実に金を生むシノギだった。[7] ジャバはポッドレースのファンであると思われることが多かったが、実は彼の関心事は賭博だけであり、ポッドレースのギャンブル以外の側面は彼にとって退屈なだけだった。[8] ジャバが出資したグランド・アリーナの大観覧席は10万人もの観客を収容することができ、ジャバのためのロイヤル・ボックス席も用意されていた。[7]

共和国時代後期、ダグのセブルバはモス・エスパのポッドレース・チャンピオンとして名を馳せた
この時代、ダグ種族のセブルバはアウター・リムで最も成功を収めたポッドレーサーのひとりで[9]、ブーンタ・イヴ・クラシックでも優勝経験を持ち[10]、モス・エスパのポッドレース・チャンピオンとして君臨した。[9] セブルバは勝つためなら手段を選ばず、レース前にライバルのポッドレーサーに細工をしたり、レーサーに仕込んだ武器を使って競争相手を攻撃するなど、ルールや規制すらどこ吹く風だった。しかしこうしたスポーツマンシップに反する行為に手を染めていても、セブルバはポッドレース興行主も認めるその素晴らしきパフォーマンスで大勢のファンを獲得していた。[8] 同じ時代、グラン種族のマホーニックもタトゥイーン屈指のポッドレーサー・パイロットとして知られた。[11] スニーヴェル種族のボールズ・ロアは歌手兼レーサーで[12]、ブーンタ・イヴ・クラシックでも2度の優勝経験があった。[10] またアリーナ種族のラッツ・タイレルはアウター・リム指折りのレーサーとして知られ[13]、母星アリーンの大スターだった。[14]
33 BBY、ズッガ・エンターテインメント社は共和国の首都惑星コルサントにあるグランド・アラテック・グラヴィドロームにポッドレース・コースを開設しようとした。これを受け、コルサント保安部隊のタニヴォス・ディーヴォ警部補は薄暗いうわさが絶えないポッドレース競技に関する大規模な調査を行った。この頃、ポッドレースはコア・ワールドでも人気を高めつつあった。結局、ズッガ社が法執行機関の注意を引いていることを懸念したためか、コルサントのポッドレース・コース計画は実現せずに終わった。一方、ディーヴォは調査の過程で、かねてからアウター・リムでの資金洗浄を疑われているクザーカ社やメクーン社、コラー・ポンドラット社といった企業がポッドレースのスポンサーとなり資金を注ぎ込んでいることを知った。ポッドレースが極めて冷酷な側面を持つスポーツであるにも関わらず、卑劣なセブルバが子どもたちからもヒーロー扱いされている業界の実情を知ったディーヴォ警部補は、ポッドレースがコルサントにまで広がらなかったことに安堵を覚えた。[15]
衰退のきざし[]
- 《今日こそ片付けてやる、奴隷の坊や》
- ―アナキン・スカイウォーカーに対し、セブルバ[出典]

奴隷のアナキン・スカイウォーカーはブーンタ・イヴのレースに勝利して自由を得た
32 BBY[16]、ナブー危機のさなかに開催されたブーンタ・イヴ・クラシックでは、地元出身の少年アナキン・スカイウォーカーがセブルバを破って優勝を果たした。[10] ポッドレースは優れた反射神経と特殊な体を持つエイリアン種族に適した競技と言われる中[17]、人間であるアナキンは類まれな才能を持つ若きレーサーだった。[1] ジャンク屋ワトーの奴隷だったアナキンは、自ら組み上げたマシンで大会に出場しており、レースを完走すること自体がこれが初だった。この少年の才能を見出したジェダイ・マスター・クワイ=ガン・ジンは、レースの結果を巡ってワトーと賭けをしており、その結果アナキンはレースを制したことで自らの自由を勝ち取った。その後、アナキンはジェダイの道を歩むため母親シミと別れてタトゥイーンを去った。[10]
32 BBYのブーンタ・イヴ・クラシックには18人のレーサーが出場したが、完走することができたのはアナキンとガスガノ、オルダー・ビード、エーブ・E・エンドコット、イラン・マック、ボールズ・ロアの6人だけだった。[7] セブルバの対抗馬と見なされていたマホーニックは[18]、そのセブルバの妨害によって最初の脱落者となった。トゥーング種族のベン・クワディナロスはマシンの故障でスタート位置から動くことすらできなかった。[10] しかしクワディナロスはその後もポッドレーサー稼業を続け、やがてセブルバのライバルと目されるまでになった。[19] 『季刊ポッドレーシング』のジャーナリストでもあるレーサー、クレッグ・ホールドファストもセブルバの妨害でリタイアしたが[8]、『季刊ポッドレーシング』では彼が7着で完走したという虚偽の情報が報じられた。[3] ザムスターのネヴァ・キーはレース中にコースアウトし、そのまま行方不明となった。[4] キーは借金取りから逃げるため行方をくらませたという説もあったが、モス・エスパの事件担当者から調査協力を求められたディーヴォ警部補は、ファーワン&グロット社がキーのカスタム・ポッドレーサーに施された改造の秘密を知るため、彼の暗殺を手配したのではないかと推理した。[15]

ラッツ・タイレルの死後、その息子ディーランドはポッドレース反対運動を開始した
32 BBYのブーンタ・イヴ・クラシック出場者の中で最も小柄なレーサーだったラッツ・タイレルは、レースの1周目でポッドレーサー[14] <スカタルペン>[6] の加速装置が故障し[14]、ラグナ・ケイヴの[7] 鍾乳石に衝突して命を落とした。[14] タイレルはポッドレース・チャンピオンとして惑星アリーンで最も有名な人物であったため[20]、その死は母星で大きな話題を呼んだ。[14] 父親をレースで失ったディーランド・タイレルは、この競技の負の側面を暴くべくラッツ・タイレル財団を設立した。クローン戦争へ至る数年間、この財団の活動は支持を集め、有名なレーサー数名が重大犯罪で逮捕されるに至った。またポッドレースはコア・ワールドで違法になり、観客動員数は10年間で50パーセントも落ち込むことになった。この時代、ポッドレースは人気が衰えながらも存続し、一方で代わりの新しい危険なスポーツが台頭した。[3]
しかしこの衰退の時代にあっても[3]、ポッドレースはウスクル歓楽地区のアウトランダー・クラブ[7][21]、はたまたクローン・トルーパー用のバーである79'sといったコルサントの娯楽施設で中継されるほどの人気を維持した。[22] また、故郷を離れてジェダイ・ナイトとなったアナキン・スカイウォーカーは、クローン戦争当時、ジェダイ・テンプルにある自室にポッドレースのポスターを飾っていた。[23] これはコデンカ・マファリアスが手掛けた『本競技最大のライバル』という題名のポスターで、セブルバとベン・クワディナロスが描かれていた。[19]
帝国時代[]
- 「ヴィンタ・ハーヴェスト・クラシックを覚えてます? 私は覚えてますとも。なにしろ私はそれまで、人間がポッドレーサーを操縦するのを見たことがなかったので。あの場にいた全員がそうでした。とにかく、あなたは操縦してのけました」
- ―“コルヴァックスの子孫”に対し、ZO-E3[出典]

<ゴースト>にポスターとして貼られていたポッドレース雑誌の表紙
ポッドレースがかつて誇った人気とスポンサーシップ、評価、巨額の賞金はすべて、銀河帝国の台頭によって突然終焉を迎えた。いつの世もポッドレースは非人間種族のスポーツであり、危険で、悪党が行うものとされていた。そのため帝国の法執行機関はポッドレースを厳しく取り締まり、レーサーは逮捕されるか姿を消し、マシンや設備、施設は差し押さえられて競売にかけられ、レース・シリーズは永久に閉鎖された。帝国のエージェントたちは極端な偏見をもってポッドレースとパイロットたちを追いまわし、数年のうちにこの競技をほぼ一掃することに成功した。ところが、帝国のあらゆる努力をもってしても、ポッドレースが完全に終わることはなかった。[2]
より名の知れたレーサーやレース・シリーズが取り締まりに遭うと、生き残ったレーサーたちはポッドレースのルーツに立ち返り、地下に潜った。その結果、帝国時代のポッドレースは違法性がさらに増しつつ、かつてないほどの人気を持つ競技となった。アンダーグラウンドのレース・シリーズはアウター・リムや未知領域に散在した。こうしたレースは常に帝国のエージェントの標的となったが、ひとつが閉鎖されると、今度は代わりに新たな2つが湧いて出た。ポッドレーサー・パイロットはこの時代も無敵、危険、興奮といったオーラをまとい、帝国の追跡という絶え間ない脅威に晒されたことで、その雰囲気はさらに強まった。最初に行われた取り締まり以降、ポッドレース界隈は次第に落ち着きを取り戻していった。新たに台頭したチームが比較的公正なレースで活躍するかたわら、独立した“無法”のシリーズ・レースも辺境の惑星の小規模なサーキットで絶えず開催された。[2]
帝国時代、タトゥイーンで暮らすジャワの廃品回収業者ティーカは、ポッドレース・イベントでパーツや残骸漁りをするスリルを楽しんでいた。[24] また9 BBY当時[16]、タトゥイーンで暮らすルーク・スカイウォーカー少年は、通信局や地元民の会話を通じてタトゥイーンのポッドレースやスウープ・レース、スカイ・レース文化の最新情報を掴んでいたが、実際にレースをその目で見たことはなかった。[24]
3 BBY、バルーンダのグラブヴァイン・ゲートウェイでポッドレース・イベントが開催された。シリル・カーンが惑星ゴーマンにある帝国オフィス施設に勤務時間後に立ち入ろうとした際、2人の警備員がデータパッドでこのレースを観戦していた。[25] 2 BBY当時[16]、反乱者にしてジェダイ・パダワンのエズラ・ブリッジャーは、VCX-100軽貨物船<ゴースト>船内の自室の壁に雑誌『クラシック・ポッドレーサー』の表紙をポスターとして貼っていた。このポスターにはベン・クワディナロスとそのポッドレーサーが描かれていた。[26] 1 BBY以前[16]、“コルヴァックスの子孫”はポッドレース大会のヴィンタ・ハーヴェスト・クラシックに出場した。[27] アナキン・スカイウォーカーと同様[10]、コルヴァックスの子孫もまた稀有な人間のポッドレーサー・パイロットであり、フォースの力を備えていた。[27]

ダース・ヴェイダーはルーク・スカイウォーカー(のちに自分の息子であることを知る)が出場したポッドレースをフラドリークで目撃した
銀河内戦当時、フラドリークでは大勢の観客が集まってギャンブルを行う大規模なポッドレース・イベントが開催されていた。[28] ヤヴィンの戦い直後の0 ABY[16]、フラドリークのポッドレース・イベントのさなか、密輸業者サナ・スタロスは2本あるダース・アトリウスのライトセーバーのうち1本をこの星の犯罪王に届けた。一方、反乱同盟の一員となっていたルーク・スカイウォーカーは、ポッドレースの賭場で反乱軍のための資金を稼いでいる協力者の男からクレジット・スティックを受け取るため、R2-D2とともにフラドリークを訪れた。協力者の男は、一緒にギャンブルに参加してさらに金を稼ぐよう勧めたが、ルークは負けたらプリンセス・レイア・オーガナに申し訳ないという理由でこれを固辞した。[28]
その後、ルークはダース・アトリウスのライトセーバーを巡る帝国軍との戦いに巻き込まれた。同時に、シスの暗黒卿ダース・ヴェイダーもアトリウスのセーバーとサナ・スタロスを探すためフラドリークにやってきた。ストームトルーパーから身を隠すため、ルークはポッドレース開始直前のアリーナに逃げ込み、アーキット種族の選手のポッドレーサーに強引に乗り込んだ。ルークはそのままレーサーの1人として出走し、ランドスピーダーとは違う乗り心地に苦労しつつも、人間であるにもかかわらず優れた操縦技術を発揮して実況者を驚かせた。なおこの時、ダース・ヴェイダー[28] (ルークの父親にして元ポッドレーサーでもある)[10][29] は観客席のホログラム映像越しにルークの走りぶりを目撃していた。ルークのポッドは最終的にエンジンの故障でクラッシュしてしまったが、この事故を生き延びたルークは、アトリウスのセーバーを破壊してフラドリークから脱出した。[28]
ハット・スペースの[30] 惑星アンクラルにはかつてポッドレース場が存在したが、銀河内戦当時はすでに使われなくなっていた。ホスの戦いの後、同盟軍トワイライト中隊はこのレース場跡地で宇宙船<サンダーストライク>と<アパイラナズ・プロミス>を修理した。[31] 人間のメカニック、ゼレルダ・セージはクローン戦争以降の時代にポッドレース・サーキットでその機械技術を役立てたが、やがて新共和国の一員となり、ヴァンガード中隊のスターファイター・メカニックとなった。[32] 鉄の封鎖が行われた当時、アイヴァックス・シンジケートはアノート宙域でポッドレースをはじめとする犯罪活動を展開していた。[33]
新共和国時代以降[]
ポッドレースは新共和国時代[34]、そしてファースト・オーダー=レジスタンス戦争の時代も存続し、危険かつ無法なスポーツとしてアウター・リムのファンたちを楽しませていた。[35] ポッドレースは新共和国政権下でも違法であり[5]、小うるさい安全規程のせいで銀河系の中心部では滅多にお目にかかれなかった。[36] しかしタトゥイーンのブーンタ・イヴ・クラシックからアンドー・プライムの雪山に至るまで、ポッドレースはその違法性に関わらず、生のレースを見たがる何千人ものファンを魅了し続けていた。[35]

ヴェスパーラの闘技イベント会場“モス・エスパ・ポッドレース”を疾走するレーサー
新共和国時代、惑星ヴェスパーラのアリーナ地区にはポッドレース・アリーナと呼ばれる競技場が存在した。[37] ヴェスパーラのグランド・アリーナは闘技イベント『アウター・リムのハンター』の開催地として知られ、さまざまな闘技場が用意されていた。そのひとつ“モス・エスパ・ポッドレース”はタトゥイーンのモス・エスパの景観を模したマップであり、ポッドレーサーが戦場を疾走することで闘技にさらなる混乱を巻き起こした。[38]
28 ABY当時[16]、惑星セロンでポッドレースが開催されていた。[34] またミッド・リムの[39] 惑星モン・ガザにもズッガ・チャレンジという名のポッドレース・コースが存在した。キジーミのスパイス・ランナーズはモン・ガザで強奪事件を起こした際、このポッドレース・コースで新共和国のパトロール隊から逃げ切った。[40] タトゥイーンにはこの時代もポッドレース専用のアリーナがいくつも存在した。当時、かつてアナキン・スカイウォーカー少年がブーンタ・イヴ・クラシックで勝ち取った勝利は伝説的なできごととして語り継がれていた。[36] 34 ABY当時[16]、<コロッサス>のスカイ・レース・パイロットであるトーラ・ドーザは、ドーザ・タワーの自室にブーンタ・イヴ・クラシック・ポッドレースのポスターを飾っていた。[41]
ファースト・オーダー=レジスタンス戦争の時代、バルーンダでラワニ・カップというポッドレース・イベントが開催されていた。このイベントの様子はエイリアンのバック・アンド・ジコによって中継され、惑星バトゥーのブラック・スパイア・アウトポストでも、ラジオ・ステーションBSO 401.72を介して放送を聞くことができた。また同時期、バトゥーのガルマ地区でもポッドレースが開催されていた。この高速レースは旧共和国時代当時から違法とされている伝統行事であり、ガルマ地区では賭博が行われていた。そのため作家のエロック・スロノは自著『バトゥー旅行ガイド』の中で、旅行者にはお勧めできない場所としてガルマ地区を紹介していた。[35]
レーサー[]
- 「人間で操縦できるのは僕だけだよ」
「ポッドを操縦できるなら、ジェダイ並みの反射神経だな」 - ―アナキン・スカイウォーカーとクワイ=ガン・ジン[出典]

ポッドレースは特殊な体や感覚を備えたエイリアンに適した競技とされ、人間のレーサーはごく少数だった
危険なスポーツであるポッドレースは、銀河系の全域から命知らずのパイロットたちを引き寄せ集めていた。[14] 彼らはいわば孤高の存在で、ちょっとした興奮と一握りのクレジットのために喜んで命や手足を危険にさらし限界に挑む、スリルの探求者たちという評判だった。[2] ポッドレースは最高時速800キロメートルにも達する高速の競技であり、稲妻のような反射神経と特殊な体を持つエイリアン種族に適したスポーツだった。[17] ポッドレーサー・パイロットには勇気とジェダイ並みの反射神経が求められ、特定のエイリアン種族は並外れた感覚器官や身体的特徴によってアドバンテージを得た。人間優位の銀河系社会で差別に直面するエイリアンたちにとって、ポッドレースは儲かるキャリア・チョイスとなった。[1]
ポッドレーサー・パイロットの体格は多種多様だが[17]、小さくて軽い体のほうが競技に適していた。[4] ゼクスト種族の場合、24本ある指で一度に複数の装置を操作することができた。またグランは3つの目を持ち、レース中に一瞬のタイミングを捉えることができた。ダグは“腕”に相当する前脚を持つ特殊な体格で[17]、アリーナは小柄だが強靭な体を備えた。またザムスターは高速スポーツのさなかにも素早い判断を下せる並外れた頭脳の持ち主だった。[1] 人間はポッドレーサーには向いていないとされ[10]、ポッドレースの最高峰の舞台で戦ったことがある人間はごく一握りで、優勝者となればアナキン・スカイウォーカーただひとりだった。[2] その他の人間のレーサーとして、ヴィンタ・ハーヴェスト・クラシックに出場して何とか生き延びた“コルヴァックスの子孫”や[27]、フラドリークのレースに飛び入り参加したルーク・スカイウォーカーがおり[28]、いずれもフォース感応者だった。[27][28]
レーシング・マシン[]

アナキン・スカイウォーカーのポッドレーサー
ポッドレーサーは反重力装置リパルサーリフトを利用したレーシング・マシーンであり、時速800キロメートルを超えるスピードでレース場を疾走した。これらのマシンはいわばテクノロジー時代におけるチャリオット(戦闘用馬車)であり[1]、実際に、動物に牽かせた荷馬車の競争が起源となっていた。[6] 一般的にポッドレーサーはエネルギー・バインダーで連結された2基の大型エンジンと、柔軟なデュラスチール製コントロール・ケーブルでエンジンと繋げられたコックピットによって構成された。[2] 大半のポッドレーサー・パイロットは、規制の抜け穴を目ざとく見つけ出し、性能向上を実現するサブシステムを繋ぎ合わせて自機のエンジンの大型化やパワーアップを図った。[6]
例外的に、バルタ=トラバート社が製造したBT310クワドラ・ポッドレーサーは2基ではなく4基の巨大エンジンを搭載していた。このマシンは直線上でのスピードに重点を置いて設計されていたが、その反面、高度なテクニックを要求されるコースや障害物コースではほぼ制御不可能となった。またファーワン&グロット社が製造した“ツイン・ブロック2スペシャル”ことFG 8T8-Tもユニークなデザインのポッドレーサーで、コックピットがエンジンよりも前に配置されていた。またコントロール・ケーブルも使われておらず、エンジンがコックピットの側面の翼桁に固定されていた。[2] アナキン・スカイウォーカーのポッドレーサーは燃料噴射および配分装置に革新的な改良が施されており、小型でありながら優れた推力を誇った。[6]
ピット・クルー[]
- 「そして、本日優勝を狙うオディ・マンドレルと、史上最高のピット・ドロイド・チームです!」
- ―フォード[出典]
高速で走るポッドレーサーをメンテナンスするため、ポッドレース・アリーナのピット・ハンガーには精密な仕事を行うスペシャリストのクルーが集まった。レースとレースの合間、レーシング・マシンは休む間もなく整備と補強、改造、テストを受けた。またレース中も、ポッドレース・クルーはエンジンのオーバーヒートから露骨な妨害工作まであらゆるトラブルに対処すべくピットで待機した。ピット・ハンガーはポッドのオーナーたちが取引を交わしたり、ドライバーを買収したり、ライバルに破壊工作を行う場所でもあった。人間はポッドレーサー・パイロットには不向きとされる中、この競技に情熱を抱く人間は、しばしばポッドレース・クルーに加わるべく熟練のメカニックを志した。[14]

オディ・マンドレルとピット・ドロイドのクルー
ポッドレース場では、重要なピット・クルーとしてサーヴ=オー=ドロイド社製のDUMシリーズ・ピット・ドロイドが重宝されていた。このドロイドの値段は1体500クレジットに満たず、オーナーが複数ユニットを手軽に揃えることができた。[42] ポッドレーサーのメンテナンスには危険が伴い、レースでは安全よりも勝利が優先されたため、自分たちの危険を顧みずレース場に飛び出していき、回転を続けている加熱したエンジンの修理を行うのは、安価な消耗品であるピット・ドロイドの役目となっていた。[43]
ポッドレースのピット・クルーはエンジンの性能を分析し、故障診断を行うため、計器校正器や出力分析器といった様々な専用機器を使用した。こうした機器は公平性や安全性のために標準化されるべきではあるが、実際のところ2人のクルーが全く同じ機器を所有する(あるいは欲しがる)ことは無かった。ポッドレーサーの危険な異常出力を検知する出力探知機は、メカニックたちのキットの中でも特に重要な道具だった。またクルーたちはレース中にこの道具でライバルのレーサーをスキャンし、敵がピットインしなければならないほど出力バランスを崩していることに気付くと、味方に信号を送って知らせることもあった。[14]
会場とサーキット[]
- 「アウター・リム・テリトリーの各地から集まった客で超満員!」
- ―フォード[出典]

モス・エスパ・グランド・アリーナ
命がけのクラッシュが多発するレースを観戦するスリルに引き寄せられ、ポッドレース会場には大勢の観衆が集まった。[1] ファンたちはお気に入りのレーサーに声援を送り、自分が選んだレーサーがその日のレースをただ生き残ってくれればと願うことも多々あった。[35] 銀河系にはオーヴォIVのエクセキューショナー・コースをはじめとする“ギャラクティック・ポッドレース・サーキット”と呼ばれる7つの選手権レースが存在した。[44] 中でもタトゥイーンのブーンタ・イヴ・クラシックは有名なコースで、シーズン全体のハイライトとして扱われていた。[3] ブーンタ・イヴ・クラシックがそうであるように、ポッドレースはしばしば祝日に開催された。[1]
タトゥイーンのモス・エスパ・サーキットはベンズ・メサと呼ばれる台地を囲むように設けられており、ブーンタ・イヴの大会以外にも数多くのレースの舞台として使われていた。この台地の平坦な山頂は崖のように切り立っており、不正にショートカットしようとするレーサーたちを思いとどまらせていた。実際、ベンズ・メサは中央の卓上台地を突っ切ろうとして命を落としたタトゥイーン出身のレーサー、ベン・ネルーエンフにちなんで名づけられていた。[7] モス・エスパ・グランド・アリーナでは、選手がアリーナに入場する際、それぞれの選手のフラッグを掲げた旗手たちがともに行進を行った。フラッグにはレーサーにちなんだ紋章やシンボル、色などがあしらわれた。またこれらのフラッグは、地元地域や銀河系での知名度を得るべくチームに資金を提供しているスポンサーを象徴することもあった。[1]

ポッドレースの観客
ポッドレース会場では、レース観戦や運営のためにさまざまなテクノロジーが活用されていた。[1][7][14] プレミアム料金を支払っても構わないという勇気ある観客のために、ポッドレース・サーキットの主要な通過地点の上空にはビューイング・バルーンが配置されていた。[1] この“ポッドレース・バルーン”[7] には空中カメラが搭載されており、スタンドや銀河系各地の観客のスクリーンに映像を映し出した。[1] 同時に、ホログライドJ57カム・ドロイドなどの大量のカメラ・ドロイドがサーキット全体をあらゆる角度から捉え、ポッドレース・チャンネルに映像を提供した。ポッドレースのファンはこうした映像を手元の機器や、アリーナ内部の巨大スクリーンで堪能した。しかし大半のファンはレンタルのビュースクリーンやエレクトロバイノキュラーを使いつつ、スタンド席でレースを観戦するのを好んだ。[14] またモス・エスパ・サーキットでは、クラッシュしたマシンを回収するためP-100ピック=アップ・ドロイドが活用されていた。[7]
登場作品[]
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